心メモ                        
                              
2017年

        新年 明けましておめでとうございます 今年は健康第一!!
2016年

        Yutube「天使になったシュクちゃん」朗読ライブ 
       1月3日 箱根駅伝観戦 
2015年

        「シュクちゃん 海を渡る」
        「サイン会のご報告」
       1月 1日 心の宅急便で出逢った方々へ

2014年

        豆紙人形 7年ぶりのパリ再会
        1月 1日 NYからHappy New Year ! !


2013年

        「こども記者だより」ご紹介
       4月 6日 「生誕100年 マサコ・ムトー人間展」のお知らせ
        1月 3日 新年 明けましておめでとうございます


2012年

       6月11日 豆紙人形・母娘展を終えて 
       5月13日 麦っ子畑35周年記念
       1月 3日 謹賀新年


2011年 

       1月  1日 新年 明けましておめでとうございます
       3月  7日 寄り添う時間
       3月 27日 手をつなぐ子供たち
       4月  4日 つなみ
       7月  9日 いたわりの心
       8月 13日 夏の思い出

 Yutube「天使になったシュクちゃん」朗読ライブ

声優 三田ゆう子さんによる「天使になったシュクちゃん」の朗読が ユーチューブにアップされました。お聴きになってください。 
   https://www.youtube.com/watch?v=5uoiSANYsdw
 クリスマクスのイルミネーションが煌く表参道 ギャラリー「ラパン・エ・アロ」にて 12月6日、「天使になったシュクちゃん」の 音楽朗読ライブが開かれました。 朗読は声優の三田ゆう子さん。 音楽はポルトガルギターとマンドリンのデュオ「マリオネット」

左 マリオネット  右 三田ゆう子さん
  三田さんは「悪魔くん」の悪魔くん、「うる星やるら」の弁天、 「ポコニャン」のポコニャンなど、アニメ界で大活躍の声優さんです。 

左 ヒロコ  右 三田ゆう子さん
 ポルトガルギターの第一人者、湯淺隆さんとマンドリン屈指の奏者 吉田剛士の「マリオネット」は、日本とポルトガル両国の関係発展に貢献し 9月にはポルトガルからジョアナ・アブラン・シェスピン賞を受賞しました。 マリオネットの奏でる美しい調べと、シュクちゃんになりきった三田ゆう子 さんの朗読は会場を魅了し、あちこちで目頭を押さえる姿が見られました。 会場のシュクちゃんの“お母さん”「ミナコさん」と、イラストを描いた 「やすか姉さん」ことYASCAさんも朗読に聴き入り、シュクちゃんを思い出して涙を流し、私も胸いっぱいになった感動の音楽朗読ライブでした。
編集した三田さんの朗読ライブは来年1月、ユーチューブに アップする予定だそうです。お楽しみに!

 謹賀新年  2016年 1月3日 箱根駅伝観戦

昨日1月2日は青学箱根駅伝往路優勝!!5区全てが1位で通過!昨年の覇者・その後、怪我で泣いた「山の神・神野」が駅伝に合わせて体を調整し、見事に2位と3分4秒差で往路のテープを切った。青学卒業生としてはなんとも嬉しい大快挙だ! 昨年の今頃、私は同じ青学卒のシアトルの友人、ショルツ悦子さん宅でPCで観戦していた。彼女の日本の友人たちからメールで実況中継が次々と入ってくる。 「ヤレー!」「頑張れー!!」「1位通過―!」「ウオーッ、優勝だー!!」「青学優勝!!」 その途端、悦子さんと私は抱き合って喜んだ。

第92回 箱根駅伝復路  最終ランナー渡辺利典 日比谷公園通過
2016年1月3日、今年は毎年帝国ホテルの17階アクアラウンジにテーブルを予約している友人の佐藤一家にお声をかけられて、私もランチをしながら箱根駅伝を観戦。 見えますか?この豆粒のような小さな姿が渡辺君です。2位に7分以上引き離した堂々の1位!!シャッターを押し、夢中で二枚目を連写した時は、もうパトカーしか写っていませんでした。速い!!青学は今年10区全て1位通過。39年ぶりの偉業だとか。 来年もここで三連覇を見届けるぞー!!  

 「シュクちゃん 海を渡る」
 

4月11日(土)、シアトルの紀伊國屋にて「天使になったシュクちゃん」の 朗読サイン会をしました。シアトルは2003年に公立高校2校、日系老人ホーム2箇所、 教会1箇所で母の豆紙人形を訪問展示をし、2010年にイングルモア高校、J・スタンフォード小学校で「心の宅急便」の朗読講演をしに行った懐かしい街です。 今回は5年前、私たちのためにハープを貸して下さり、素敵な紹介記事を書いて下さった ソイソースの越宮照代編集長と、紀伊國屋の渡邊成一店長がシアトルの人々にもこの本を 発信したいと企画し、お声をかけてくれました。

シアトル紀伊國屋 朗読サイン会会場

中央に「天使になったシュクちゃん」コーナー

朗読風景

書棚に囲まれて

サイン風景
日本語勉強中の女子大生


(左)英語で朗読してくれたショルツ悦子さん
(右)元イングルモア高校・日本語教師 ノブエ フクワ先生
悦子さんの読書会のお友だちも来てくださいました。 海を渡ったシュクちゃんが これからシアトルの地で、どのくらい歩いてくれるか楽しみです。

 「サイン会のご案内」
 

「天使になったシュクちゃん」が シアトルから「来てください」と お声がかかりました。4月11日、シアトル紀伊國屋店にて朗読サイン会が開催されます。「シアトルにも犬好きが沢山います。ペットを喪った悲しみに立ち上がれない人も。そんな人に明るい勇気をくれるこの本を シアトルのアメリカ人と日本人に届けたいと思います」と現地の紀伊國屋書店・渡邊店長と、日本人向けタウン紙「ソイソース紙」の編集長越宮さんの共同企画です。 お客様はアメリカ人と日本人、半々なので、朗読は日本語版と英語版両方やることになりました。英語版は学生時代からの親友、ショルツ悦子さんが朗読してくれます。  
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 「サイン会のご報告」
3月8日(日)、午後2時〜5時、有隣堂横浜西口店にて 「天使になったシュクちゃん」のサイン会を致しました。今回はイラストレーターのYASCA さんもご一緒に。2時からのサイン会に 前日来て予約整理券を一番で取ってくれたのは心の宅急便で7年前に知り合った杉並小学校PTA会長さん達のグループ、 二番目は朝の十時から来てくださったご近所一家、そして小学校の同級生から大学の同級生などのグループが続き、何かあるといつも来てくださる方々、心の宅急便で仲良くなった校長先生や教育関係者、そしてYASCAさんの お友達などなど、事前予約も入れて延べ200人がご購入くださり645冊が売れました。
サイン会は 当日まで何があるか分かりません。どれだけの方が来てくださるか? 何度やってもドキドキします。でも、遠くから来てくださる方、しばらくぶりにお会いする方、いつも応援してくださる方、懐かしく優しい方々のお顔に会えます。 そして 祝福してくださる温かい言葉に心が満たされます。

イラストレーターのYASCAさんと
 
イラストレーターのYASCAさんと



フランス人の友人との再会

長い長いお付き合いの方々

お手伝いの皆さんと
大きなイベントには手が必要です。いつも支え手伝ってくれるチームが います。今回のサイン会も 後列の皆さんに助けていただきました。 3月8日は 実はシュクちゃんの命日!それに合わせて出版した訳ではないのに サイン会の日が決まったら「その日」でした。 そして 3月8日は 「天使になったシュクちゃん」の誕生日! ここから シュクちゃんがどんな風に歩いて行ってくれるのか、それが楽しみです。

 1月 1日 心の宅急便で出逢った方々へ
新年 明けましておめでとうございます。
昨年はいいニュースもありましたが、悲しいニュースも色々ありました。 今年は明るいニュースで始まりたいものですね。 2007年11月に心の宅急便をスタートして、昨年11月で丸7年になりました。 横浜の旭中学校から始まって北は福島、山形、南は北九州、その他東京、大阪、茨城、長野、千葉、山口と地方にも出向き、2010年には米シアトルの小学校&高校と遠い海外にも足を運び、小中高だけでなく保育園、幼稚園、老人ホーム、校長会、教職員会、地域の会、保護者の会、その他色々な方面に心の宅急便を届けさせて頂きました。

子供達からの感想文も2万通を超え、その度に素直な声に励まされました。 身体と元気が続く限り、この活動は続けて行きたいと思っておりますが、今年は4人の メンバーのうち3人が70代に入り、それぞれの体調の変化などから、半年一年先の講演のご依頼を 4人揃って責任を持ってお約束するのが難しくなりました。そんな訳で、来る2月14日、「第46回神奈川県母と女性教職員の会」の講演を もちまして、心の宅急便の一区切りとさせて頂くことに致しました。この「心の宅急便」を通して出逢った方々には、どれほどの大きな温かい励ましや お力を頂いたことでしょう。どれほど素敵な時間を共有させて頂いたことでしょう。

              心の宅急便メンバー
長村美代子(左前)、ヒロコ・ムトー(右前)、栗山泉(左後)、原田節子(右後)






シアトル イングルモア高校にて

講演朗読風景
この7年間、手を広げて受け入れて頂き、又は優しく背中を押されて前へ前へと進ませて頂いたこの素晴らしい出逢いと時間は人生に於ける私たちの宝物です。今までのご支援、ありがとうございました。  感謝とともに          2015年 1月吉日 

 豆紙人形 7年ぶりのパリ再会
風薫る5月、2007年の母のパリ追悼展以来、7年ぶりにパリを訪れました。2005年日本文化会館アンコール展後、元駐仏日本大使 平林博氏のご厚意で数箇所に分けてパリに母の豆紙人形を寄付させて頂いたのですが、今回はそのお人形たちが今どうしているかと会いに行きました。同行者は高校時代からの親友オノブとカメ&大学時代からの親友ノンコの三人。2004年、初めてのエスパスジャポン展以来パリ展は3回。いつも一緒に手伝ってくれた仲間です。
5月24日(土) エスパス ジャポン訪問 2:00pm
数年前に転居したエスパスジャポンの場所が地図を見てもよく分からず駅で迷っていたら、日本に住んでいたという青年が声をかけてくれて、親切に二人で道案内をしてくれました。


  エスパスジャポンの前で
(後ろの青年二人は駅で出会って道案内をしてくれました)


  エスパスジャポン 母のお人形ケースの前で勢ぞろい

エスパスジャポン「子供の遊びシリーズ」展示ケース

エスパスジャポンのオーナー夫人小沢君江さんと誕生日の乾杯!
(地下の図書室にて)


訪ねた日は私の誕生日の翌日、5月24日。小沢君江さんがシャンパンとケーキを用意して待っていてくれました。69歳の誕生日です。 君江さんは近著「四十年パリに生きる」〜オヴニーひと筋〜(緑風出版)に書かれているように、フランス人のご主人と共に、パリに民間の日仏交流の館「エスパスジャポン」を開設し、パリに住む人なら誰もが知る日本語新聞「オヴニー紙」を編集発刊しただけでなく、ナチス強制収容所の証言を書いた「ビルケナウからの生還」、第二次世界大戦下、ナチスドイツ兵とフランス人女性の間に生を受け過酷な運命を強いられた「ボッシュの子」等等、いつも衝撃的な問題をテーマに翻訳家として活躍しています。



5月26日(月) パリ日本人学校訪問 10:00am
一日置いて月曜日の26日にはパリ郊外にある日本人学校に行きました。私たちが泊まっていたオペラ座近くのホテルからパリ郊外の日本人学校にはメトロと高速電車を乗り継ぎ約二時間かかりました。一時間くらいで行けると大野啓司教頭先生から事前に丁寧な行き方をメールで教えて頂いたのですが、乗り継ぎがうまく行かず・・・・。 でも、何とか辿り着きました。

     パリ日本人学校正面玄関
パリ日本人学校の事務局、宇都宮明子さんが近隣のフランスの学校にも日本の文化を伝えたいと、母の豆紙人形の資料作りを始めてくれていると言うお話を聞きました。楽しみです。  
    ガラスケースの中に母の写真も

パリ日本人学校正面玄関ホールの展示ケース 
河部謙治校長先生と一緒に

優しい笑顔で出迎えて下さったのは今年4月に赴任なさったばかりの河部謙治校長先生。7年前にお会いした清治校長先生と同じく子供達に対する愛情が言葉の端々に溢れてきます。ここから「心の宅急便」がスタートしたことをお話しました。


 パリ日本人学校 ガラスケースの豆紙人形  
   (源氏物語&日本の祭り)

5月27日(火)アメリカンホスピタル訪問 11:00am
翌日の27日は アメリカンホスピタルに寄付したお人形たちに会いに行きました。 アメリカンホスピタルの小児科のミッシェル ロバン先生は「このお人形は僕の宝物です!」とおっしゃって、小児科の待合室正面の壁に飾ってくれています。特注の木製額縁に納められたお人形達はアメリカンホスピタルを訪れるパリの子供達とお母さんたちにとても愛されてい るそうです。


アメリカンホスピタル待合室「出初め式」のお人形前
 ミッシェル ロバン先生と



 アメリカンホスピタル小児病棟待合室   「お伽噺シリーズ」の人形ケース前で

  アメリカンホスピタル    立派な特注木製額縁に入ったお人形達

エスパスジャポン、日本人学校、アメリカンホスピタルで2005年から9年間、それぞれの場所で母の豆紙人形は大事に大事に愛され展示され続けていたことを見せてもらい、私たちはとても感動しました。母も天国で作家冥利につきていることでしょう。 今回のパリの旅は初めて仕事を一切いれない旅でした。ノンコと言う英仏べらべらの語学の達人が一緒なので言葉には不自由はしませんでしたが、それ以上に「パリのナイト」&「パリの守護女神」と私が信頼する渡辺実&理子夫妻のサポートが大きな安心感で過ごせました。

パリのナイト 渡辺実さん サンラザール駅前で


パリの女神 理子ちゃん     イタリアンレストランの前で
理子ちゃんは7年前、ラ・フォンテーヌ校で母の「追悼展」の展示公演をした時のラ・フォンテーヌ校PTA役員ですが、責任感の強さ、迅速な対応、的確で温かく細やかな気遣いに感激し、それ以来の親友です。パリ生活26年、フランス語はべらんめえ口調、カルトナージュの工房を開いて教えている才色兼備の健康美人で、6年前からマラソンに嵌り、先月も42キロフルマラソンに参加したばかりです。今年は男性でも過酷な72キロマラソンに挑戦するとか!カッコイイ「パリジェンヌ」です。 ファッション関係の仕事で、小田和正似のご主人の実さんは、写真の通りダンデイで素敵な男性。さり気なく細部に渡りケアしてくださるその優しさは流石理子ちゃんのご主人! 7年前もすっかりお世話になりましたが、今回もパリに着いた日に国内国外使い放題の携帯を貸してくださり、「困った時はいつでも、何でも言ってください!」とパリの旅をサポートしてくださった「パリのナイト」です。

懐かしい出会い、新しい出会い、懐かしい景色、新しい景色や思い出を心に思いきり詰めて帰った2014年5月、パリの旅でした。

 1月 1日 NYからHappy New Year ! !
昨年は「生誕100年マサコ・ムトー人間展」をきっかけに母の生まれ故郷、北九州での新しい出会いが次々と始まり心の宅急便の輪が広がりました。2014年の幕開けは 亡き主人との思い出のニューヨークで米駐在時代の懐かしい友人たちと新年を迎えています。60代最後の年をどう有意義に過ごすかを語りあいながら。今年もどうぞ宜しくお願い致します。
                                ヒロコ・ムトー

獅子舞  ヒロコ真似紙人形


2013年

  「こども記者だより」ご紹介

11月15日、北九州市立引野中学校での「心の宅急便」を 取材してくれた西日本新聞社「こどもふれあい本部」こども記者の山下千結実さんの記事が12月11日同紙の「もの知りタイムズ」に掲載されました。山下千結実さんは引野小学校5年生、目のクリッとした可愛い 女の子です。中学生の大きいお兄さんお姉さんと一緒に講演を聞き自分自身が感じたことをしっかりと明確にまとめて記事にしてくれました。引野中学校では講演の準備から進行まで生徒会の新役員が全部行ってくれました。「初めての大仕事なので心配です」と言いながら、見事なチームワークで和やかにスムーズにそれぞれの役割を果たしていました。そんな姿も小学生の千結実さんには、とてもいい刺激になったようです。西日本新聞社の2013年度「こども記者」は小4〜中3まで、 64人。ふだんは、「もの知りタイムズ」編集部の大人の記者とこども記者数人が一緒に取材に出かけますが、「こども記者だより」は自分で書きたいテーマをみつけて、自主的に取材した記事を載せています。今回は、いじめに関心のある千結実さんが「講演を聞いてみたい」と取材してくれました。

  4月 6日 「生誕100年 マサコ・ムトー人間展」のお知らせ

       
4月6日から6月16日  北九州市小倉北区「到津の森公園」にて

 

心の宅急便メンバー勢ぞろい


  1月3日 新年 明けましておめでとうございます

 

夜明け  マサコ・ムトー作
2013年、新しい年になりました。今年は私にとって、そして「心の宅急便」にとって、100年に一度しかない出来事に遭遇することになりました。 「心の宅急便」の講演の中でお馴染みの、豆紙人形作家であり母であるマサコ・ムトーが亡くなってから7年の月日が経ちます。生きていれば今年100歳・・その百歳を祝って、母の生まれ故郷である北九州市が、小倉北区「到津の森公園」にて「生誕100年 マサコ・ムトー人間展」と言う夢のような企画展を開催してくれることになったのです。期間は4月6日から6月16日までの二ヶ月余り。不自由な目で作った手のひらに乗るような小さな紙人形を作り始めて母が世に出たのが88歳。身体中に重い病を抱え人生の最後の時間で花開いた母は、それから5年で高い所に旅立ちましたが、表現者として心は思う存分自由に空を羽ばたいたことと思います。 ここに載せた「夜明け」の絵は、失明寸前だった83歳の母が目の手術に成功し、見えるようになった左目の視力だけで描いたものです。今年はそんな明るい一年になりますように!
                2013年 元旦     ヒロコ・ムトー

 2012年

  6月11日 豆紙人形・母娘展を終えて

 


昔の子供の遊び


戦時中の思い出


「雲日記」
一年がかりで準備した豆紙人形・母娘展が5月27日(日)、1500名以上の来場者を迎え、大盛況の中で五日間の展示を終えた。毎日300名もの方々が足を運んでくださったのは新聞各紙が連日のように取り上げて豆紙人形展を紹介してくださったからに他ならない。その温かい記事に感謝すると同時に、会場に来ていただいた全ての方々に心からお礼を申し上げます。遠くは宮城県から車を走らせて会場に来てくださった方、埼玉県、千葉県など近県からも、朝早くから電車を乗り継ぎ会場に来てくださった方々、その多くは「88歳から豆紙人形を始められたというお母さんから、元気をもらいたくて」「目もお体も不自由だったお母さんが、何故そんな小さなお人形を作ることが出来たのか?どうしたらそんな生き方が出来るのか教えて欲しくて」と新聞記事を握り締めていらっしゃった中高年齢者だった。 片目の視力を69歳で失明し、残る片目も白内障と言うハンデがありながら、手のひらに乗るような小さな豆紙人形を創り始めたのは、母が88歳の歳だった。母が生まれ育った大正・昭和初期の懐かしい風景、忘れ去られ消え行こうとしている日本の行事や路地裏の子供たちの遊びを、僅か3センチから5センチの世界に再現した母の小さな紙人形は大きな反響を呼び、海を渡ってシアトル、パリでも大絶賛を浴びた。母の豆紙人形を楽しげに愛おしげに見ていた人々が、じっと足を止めて動けなくなるコーナーが会場の真ん中にあった。腎臓、肝臓、肺、心臓、大腸といくつもの病魔を抱え、入退院をくり返した86歳、87歳のそれぞれ数ヶ月、自宅ベッドで動けない時期、部屋の窓から見える西の空を母が水彩で小さな絵葉書に描いていた「雲日記」だった。病床の辛さ苦しさ悲しさではなく、輝き移り行く自然の織り成す空の美しさ素晴らしさに感動し、絵を描ける幸福に感謝し、生きている喜び、そして希望に胸を膨らませ、明るい言葉と明るい絵で 母は体の許す限り雲日記を綴っていた。 どんな状態でも諦めてはいけない!どんな状態でも、何か出来ることはある!今日を悔いなく生きていれば、何があっても怖くない!母の残してくれたメッセージを一人でも多くの人に見てもらおうと企画したこの展示会を、このような多くの方々に見て、感じていただけたことがとても嬉しい。「この雲日記を本にしてください!」会場から寄せられた多くの声を、これから私は実現できるように動くつもりだ。

5月13日(日) 「麦っ子畑35周年記念」


 
マリオネット&みこべ&節子さんと


みこべと


麦っ子たちと「友だちにならない?」の歌を
母の日の5月13日、座間市の「麦っ子畑保育園」は創立35周年記念パーテイでした。 園長先生の「みこべ」こと大島貴美子さんは、十年前、麦っ子畑保育園25周年記念パーテイで知り合ってから、私の大好きなお友だちです。25周年の記念パーテイの舞台では、東北弁の朗読家として有名な女優の萩生田千鶴子さんが、ポルトガルギターとマンドリンのデュオとして有名なミュージシャン、マリオネットの演奏で朗読をなさっていました。マリオネットのお二人は、私の原作ミュージカル「ゴールド物語」「猫の遺言状」「幸せ猫」の三作の作曲と演奏をお願いした素晴らしい方たちで、私も色んな場面でお世話になっています。今回の麦っ子畑35周年記念の舞台では、マリオネットの演奏で、一部を私の朗読、二部を萩生田さんの朗読と言う、身に余る大役をみこべに依頼されてしまいました。 マリオネットの演奏で朗読できるなんて機会は、朗読が本職ではない私がお受けするだけでおこがましいのですが、一生に一度くらいは許されるかな?と、「心の宅急便」でも子供たちに朗読している「野良猫ムーチョ」を、いつものように原田節子さんにイラストをスクリーンに投影してもらって読ませていただきました。みこべは35年前、たった一人の赤ちゃんを預かることから始めて、座間の地に「麦っ子畑保育園」の種を蒔き、水をやり麦を実らせて、独自の愛ある世界を築きあげてきました。字を無理やり教えたり、数を数えることを詰め込む預かり方でなく、楽しい時は泥だらけになっても思い切り遊ばせ、音楽や人の話を聴くときは、静かに真剣に聴く楽しさを教え 年長さんが年中さんを、年中さんが年少さんを手を引いて教えたり、泣いてたら涙を拭いてあげたり、そんな思いやりが自然に出来る“子供らしい子供”を育ててきました。「麦っ子畑保育園」は、園児が卒業しても園を訪れ、小さな弟分妹分を遊びながら見てあげたり、そして大人になって結婚し子供が出来たら、今度は保護者となって子供を園に預けたりと、脈々と続いている麦っ子魂を園長のみこべ、ご主人のノンちゃん、職員の皆さん、保護者の皆さんと共に歩んできています。35年もの長い道のりには数え切れない難問関門、山も谷もあったでしょう。

 謹賀新年 2012年1月3日
 
 
山形 花笠音頭 男衆


花笠音頭 俯瞰


下関 八丁浜祭り 太鼓引き回し
お正月早々、コケテしまった。二日の午後、近所の天満宮に初詣に向かう坂道の途中で!それも盛大な勢いで、漫画みたいにスッテンコロリンと音が出るほどに!! 転んだ理由が笑ってしまう。「笑い転げる」と言う言葉があるが、まさにその言葉通り、笑いすぎてバランスを崩し道端につんのめるように転んでしまったのである。 一緒に歩いていた娘二人が両側から抱えあげてくれたが、穿いていたジーパンの右膝は大きく裂け、その中から血だらけの膝小僧が覗いていた。 それが又おかしくておかしくて、私の馬鹿笑いはしばらく止まらなかった。「笑い転げるってのを実際に目の前で見たのは初めてだよ。ああ、これってあるんだね?」と変に感心する長女。「そうだね、それも、自分の母親が突然目の前で視界から消えた!と思ったら、地面に転がって笑ってるんだもんね。何かの冗談かと思ったよ」と呆れる次女。 何がそんなにおかしかったのか・・?いや、言ってみれば大した理由ではないのだが・・・ちょっと道に迷った?だけの話なのだが・・。大晦日、元旦、二日と三日間、長女・次女の家族が泊りがけで集まって食べに食べ、飲みに飲んで過ごしたお腹が全員満タン状態で、いつもなら車で行く初詣を女達は「歩いて行こう!」と言うことになった。少しくらい歩いて運動でもしておかないと、夕食が美味しく食べられないしブタになってしまうからだ。娘達の亭主は「今更無駄だと思うけど、勝手にすれば。天満宮に着く直前に電話してよ。車で追いつくから」と手をひらひら振って私たちを送り出した。 「いつもの大通りの平坦な道からじゃなく、坂上に上って行こう!こっちの道からの方が上がったり下がったりで体脂肪が減るかも・・」と私が言い出し、「こっちの道が近いのよ」と道案内していたのだが、「ママ、このまま行くと山本記念病院に行くんじゃない?さっき見えてた天満宮の幟も無くなったし、鐘の音もどんどん遠くなって、なんだか天満宮からどんどん離れて行く気がする」と娘達が途中で言い出した。「いいのよ。大丈夫!ママはここに何年住んでいると思ってるのよ!」と自信を持って言い切った私であるが、大分歩いてからふと気がついた。<道を間違えたかも・・?!>新年早々又やらかしてしまった!と思った途端、お腹の皮がよじれるほどおかしくなり、笑いがこみ上げてウッハッハ!とのけぞった時には地面に転がっていたのだった。「これでママの一年が決まったね!気をつけてね」と娘達は労わりながらもニヤニヤ。 なんとか方向転換して辿り着いた天満宮で引いたおみくじも「末吉」で、中身は「大凶」のような文言ばかり! でも、懲りない性格の私はこう思う。例え転んでも、傍で助け起こしてくれる娘たちがいる。転びそうになったら「転ばぬ先の杖」になって支え見守っていてくれる「心の宅急便」のメンバーや友人たちがいる。ああ、安心して転べる私はなんて幸福者なんだろう! おみくじの内容は忘れよう!「末吉」なら後は登る一方だから、先が楽しみだ!と思うことにしよう!こうして2012年脳天気ズッコケ女の一年は始まった。 こんな私ですが、皆様今年もどうぞ宜しく!        ヒロコ・ムトー
今年は5月に母の豆紙人形と私の真似紙人形の「母娘展」をやる予定だ。心の宅急便で 子供たちに私の作品も見せてあげられるように頑張るつもりだ。写真は昨年大晦日に作った山形の花笠音頭と、その前の週に作った下関の八丁浜祭りの太鼓引き回し風景である。

 2011年

 夏の思い出
 
 
八丁浜 えらいやっちゃ!「おしゃもじ祭り」


おしゃもじ祭り後ろ姿
今日は盆の入りの日である。場所によっては7月にやる所もあるらしいが 主人が生きていた頃、いつも8月13日になると角地にある我が家の三角庭の 前でおがらを焚いて亡き人を迎えに行っていたから、私も昨年からそうしている。 仏事でも何でもよく知っていた主人は一昨年10月に帰らぬ人となった。 仏事だけでなく一般的な祭りごとなど世の中のしきたりに疎い私は、主人が いなくなってからはもう訊く人がいなくなったので、彼がしていたことを ひとつひとつ思い出してはご近所の物識りな方に伺いなおして確認をしている。 私が特に仏事に疎いのは、5年前に亡くなった母がクリスチャンで、家では 盆祭りなどをしていなかったからかもしれない。何でも生き字引のように知って いた母だったが、仏壇の前に何かお供え物をしていた記憶が私にはない。 夏と言えば、幼い頃の懐かしい思い出と言ったら祭りである。盆踊りに行ったり お寺の境内で金魚すくいをやったり、祭りの神輿や着物を着た女の人が踊り ながら練り歩く姿に心を躍らせたり・・・ 豆紙人形作家だった母の作品に「日本の祭りシリーズ」がある。母の故郷下関の 八丁浜祭りや亀山神宮祭り、お上臈が男衆やかむろを従え練り歩く先帝祭り、 山形の紅花祭りなどである。それらの作品は2005年にパリ日本文化会館で 母の豆紙人形展を開催した際に、パリに寄付してきた作品で日本にはない。 私は今、日本にないそんな母の作品を写真を見ながら「真似紙人形」作りをして 再現しているが、一昨日、祭りシリーズの中の八丁浜「おしゃもじ祭り」を作ってみた。 この祭りは、人柱となって唐戸発展の礎となったお亀さんの功績を称え、約1000人の 踊り手がしゃもじを持って「八丁浜えらいやっちゃ!」と掛け声をかけて踊るそうだ。 母の作品でしか見たことのない遠い九州の地での祭りだが、被災地の方を励まし 少しでも元気になっていただくよう、祈りをこめて作ってみた。



  いたわりの心                                                                              
   
母さん お肩をたたきましょう?


 人は自分自身がその立場になってみないと なかなか気づかないことがある。 私が今、心の宅急便の講演で子供たちに伝えている「いじめの怖さ 悲しさ」も それが原点である。 子供たちはほとんどの場合、いじめをいじめと自覚しないでいる。高学年になって 意識的にやる子もいるだろうが、それは本当に少数だ。子供たちは自分が「いじめ」 に遭うまでは、自分が加害者になっていたことがあることすら気づかない。 「もし あなたが今 そうされたらどうしますか?」 「もし あなたが今 そう言われたら どう感じますか?」 私が心の宅急便の講演で子供たちに必ず問いかけるその言葉は、「もし 自分が?」 と、想像し考えてもらうことが狙いである。自分がやられて悲しいこと辛いことを 誰かにしていないか?それを振り返り、自分の心を見直す時間を子供たちに持って もらいたいから。 「本当に、その立場になってみないと気づかないものですね」 奥さんが車椅子生活になって介護しているSさんが、ため息をつきながら言った。 「日本が体の不自由な人に対して、こんなにも優しくない国だとは知りません でした」 病院から退院した奥さんに気晴らしをしてもらおうと、車椅子を押して外出したSさんは あまりの不自由に驚いた。電車に乗ろうにも改札口から乗り場までの移動がスムーズに 行かない駅が多すぎる。何処かの店に入ろうとしてもバリアフリーになっている店が 少な過ぎる。デパートのトイレに車椅子専用の表示があること、そして右利き左利きの両用を設備していることは初めて気がついたが、意外にその配慮が足りない有名病院があったりする。「妻がこうなるまで、そんなこと少しも気づかなかった。気づこうとしなかった」Sさんはそう言って視線を落とした。「でもね、こないだ、こんなことがあったんです」Sさんの目が輝いた。 新宿のあるデパートで奥さんの車椅子を押しながらエレベーターを待っていたところ、 ドアが開いたら満員だった。<日曜日にデパートに来るんじゃなかった・・>そう思った とたん、エレベータ係りの女性がドアを押さえてこう言った。「皆様、このエレベーターはお年寄りやお体の不自由な方を優先しております。どなたか宜しくお願いいたします」 するとすぐに5、6人の人がサッと降りて「どうぞ」と手を差し出した。 「ありがとうございます」Sさんは胸が熱くなった。呼びかけてくれた女性のやさしさと それにすぐ応えてくれた人々のいたわりの心に深く頭を下げてエレベーターに乗り込んだ。 「日本人はまだまだ捨てたもんじゃないですね」そう言った私にSさんは微笑んだ。 「国は、まだまだだけどね」


 つなみ                                  
  アメリカに住んでいる姉から、下記のメールと共に動画「つなみ」が送られてきました。今、日本人が一番求めている答えを教えてくれている気がしました。ぜひ ご覧ください。          ヒロコ・ムトー
海外にいる私の友人が、こんなYouTubeの動画を紹介してくれました。 米国のノーベル賞作家パール・バックの日本童話『つなみ』(1947年刊)をもと に作られたものです。 パール・バックは、かつて日本の漁村に住み、今回と同じように大地震と津波 を経験しました。 60年以上も前の作品ですが、まさに今の日本の状況にぴったりです。 多くの人が住むまちを一瞬にさらっていってしまった大津波と、それを乗り越 えて生きる人間のたくましい心。 読んでいて、涙が出てきました。 「ふるさと」のやさしいギターメロディとともに、心が癒されます。 被災者の方だけでなく、多くの方にぜひ聴いてほしいと思います。 http://www.youtube.com/watch?v=uiIbBiUnMxs


 手をつなぐ子供たち
   今朝のS新聞朝刊裏表両面一杯に被災地の子供たちの輝くような素晴らしい笑顔の写真が載っていた。「早くみんなに会いたい」「ゲームがしたい」「家に帰りたい」「みんながんばってます」などと手に手にプラカードを持っているが、その子供たちの屈託の無いはじけるような活き活きとした明るい笑顔に涙が出るほど感激した。 背後には体育館の冷たい床にダンボールが布団代わりに敷かれ、椅子やテーブルには毛布がうず高く重ねられ、未だ悲惨な避難状態が映し出されている。子供たちの足元も上履きなしの靴下一枚だ。カメラがここまで入れるようになり、飢えをしのぐ物資は少しは増えたかもしれない。でも、通常の生活には果てしなく遠い。今まで持っていた当たり前の幸福はこの災害で根こそぎ奪われてしまっている。辛いだろうと思う。不安だろうと思う。叫びたいほど悲しい思いをしていると思う。だが、この状況下にあって、それを一瞬忘れさせてくれるほど子供たちの笑顔は生命力に溢れていた。彼らの身体からは「希望」「勇気」「未来」の言葉が眩いほどに感じられた。 今回の3・11大震災後、海外に住む友人からも心配のメールや電話が沢山入った。その中で、シアトルに住むE子さんの言葉が印象的だった。 「日本を離れてもう三十年になります。でも、今回くらい母国日本を、日本人を誇らしく思ったことはありません。これほどの被害に遭いながら、互いに互いの身を案じあい、家を失い、家族を失い、仕事を失いながら、明日への希望を失わず、人間への信頼を失わず、 復旧に向けて前へ向かって生きている。日本人て素晴らしいと心から思いました」 他国での大きな津波やハリケーンの大災害時、一部の人々が暴徒と化しコンビニやスーパーに強奪に入ったり、欲や自分を守るため、殺傷事件が続発した映像は私たちの目にまだ生々しく残っている。世界中の目が見守る中、1000年に一度の未曾有の災害の中で、日本人は日本人としての最高の姿を見せてくれた。 未来に向かって手をつなぐ子供たち、今、私たち大人は、人として何をしなければならないか、何を考えなければならないか、これからこの子供たちをどう守れるか、どう助けて行くべきかを問われている。


 寄り添う時間
                                                                                      
 
          金魚すくい







 姉のように慕っているOさんが脳梗塞で倒れた。大学入試で大阪から上京してきた時、入れ替わりに大阪に嫁ぐ姉の紹介で私の世話をしてくださった方だ。それ以来、ずっと私にとっては家族同然の存在である。東京の大学に入学して下宿先が決まるまでの一ヶ月間、私はOさんの実家でお世話になった。その間、受験勉強だけしかしてこなかった私に、Oさんは一人で生活できるようにお料理や下宿先での心得、大学生活のイロハなどを懇切丁寧に教え込んでくれた。 今考えればOさんはその時大学を卒業したばかり、たった四歳しか違わなかったのに、私にはOさんがうんと歳の離れた大人に感じていた。実際、Oさんは何でも出来た。優しくて明るくて魅力的で、そして頭のいい人だった。 Oさんはその後学生時代からのボーイフレンドと結婚し、二人の息子に恵まれ、そのまま素敵な中年となり、素敵なシルバー世代に入った。優しくてハンサムで足の長いご主人も会社でどんどん出世し、どんどん風格のある男性になり、仲睦まじい二人が一緒に寄り添っている姿はまるで絵のように幸福な風景で、私の憧れでもあった。 そのOさんが脳梗塞で倒れた報せを受けた時、目の前が暗くなった。Oさんにもしものことがあったら・・!そう考えるだけで病院にお見舞いに行くのが怖かった。ここ数年、大切な人が何人か旅立っている。誰か大切な人が病気と聞くだけで胸が苦しくなる。 Oさんの症状は軽くはなかった。下半身と左腕が動かない。昨年11月に倒れ、先月からリハビリを始めているが、まだ左腕は動かず、自分の力で立ち上がることも動くことも出来ない状態だ。 「でもさ、君は意識障害が全くなかったんだよ。凄いことだ。リハビリをさせてくれるってことは、治る可能性があるからなんだよ」 こんな身体になってまで生きていたくないと涙するOさんに寄り添って、やさしく言いきかせながら介護するご主人がそう言った。毎日病院に通い、笑顔が無くなったOさんに「おっ、今日は肌の色が綺麗だぞ。病院にいるせいか色白になったな」と、何かいいことを見つけては嬉しくなるような言葉をかけている。そのご主人に少女のように甘えて我儘を言ってすねるOさん。その寄り添う姿が素敵だった。今まで見たお二人のどの姿よりも素敵だった。寄り添う時間に必ず来る春を見た気がした。


 新年 明けましておめでとうございます
                                  
    
  真似紙人形  ヒロコ・ムトー作
 2011年になりました。昨年は児童虐待や小学生のいじめ自殺など、悲しい事件が沢山 ありました。どうしてこんなことが何度も何度も起きるのだろう?とニュースを聞く度 胸が痛みました。この世の中に生を受けた誰もが幸せに生き愛されて生きる権利を持って いるのです。生きてさえいれば、必ずそれを手に入れられる、と言うことを周囲の大人が 子供たちに教え守ってあげなければ・・と強く思いました。 何かが起きる前に、助けを求める子供のシグナルを見逃さず救えるよう、もっともっと 私たち大人が心を開きアンテナを立てねば!とそんな風に思いました。 上記の写真は、88歳から豆紙人形を作り始め93歳で他界した母、マサコ・ムトーの 作品を真似して昨年末から作り始めたものです。不器用な私には出来ないと頭から思い 込んでいましたが、作り始めたら面白くて面白くてどんどん作りたくなってきました。 何でも「出来ない!」と思い込む前にやってみるものですね。 目も足も不自由で、おまけに体中難病に侵されていた母でしたが、病気や年齢を言い訳に して「出来ない」と言うことを一切言いませんでした。いつも明るく前向きに生きていました。そんな母を思い出しながら真似紙人形に挑戦しています。母が遺してくれた言葉 「人生 遅すぎることはない」を噛みしめながら